カテゴリー「【雑記】」の記事

2017年3月15日 (水)

【雑記】 人は大地で助かる

 「助けて~」

 

 最近椅子に座る僕の膝に乗った娘が、前かがみに地面に顔と手をつけてよく叫ぶのです。自分の身体から手を離さず引き上げて欲しいということのようですが、実際には地面に落ちた方がこれ以上落ちようがなく、ある意味助かったということになるのでしょう。

 

 そんな些細な日常の一コマから、人は大地で助かっていくということにあらためて頷かされました。今がすべてであり、今が「そうなっている」以外の何物でもないので、何かにしがみつくことよりも、手を離してこれ以上落ちようのない大地に助かっていくことが急がれるべきことのように思います。

 まさに「自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾にこの境遇に落在せるもの、即ち是なり。」(清沢満之)であります。

 

 

 「摂取不捨は、毎瞬毎瞬の救い」ということを教えられたのですが、これ以上手足の出ない今という厳しさは当然あるのですが、手足の出ないということは手足を出さなくてよいということであるとの先達の声が聞こえてくればまた、阿弥陀さんは「そうなっとるやろ?」とニヤリと微笑んでおられるような気がするのです。

 

2016年6月 6日 (月)

【雑記】 不思議なり、この人生

 昨日37回目の誕生日を迎えることができました。沢山の方々からお祝いのメッセージもいただき、随分久しぶりに母親からの誕生日プレゼントが届いたり、有り難い一日でした。
 
 
 生まれた瞬間から今日まで、止まることを知らず、確実に老いつつあるこの身において、37年よう生きてこられたなぁということを誕生日の朝を迎えて感じました。やがて確実に迎える「死」まで残された時間は、誰にもわかりませんが、漠然と人生の折り返しは過ぎたような気がしたのかもしれません。しかし、人間の尺度で人生の長さを考えても、それはあまり意味がないようにも思います。
 
 
 ”一切”が自力無効のこの身において、今在ること、それはそれは不思議なことに違いありません。如来の想定する”一切”の世界は、実はそれはそれは厳しい真実の世界です。一切の不思議です。
 
 最近、如来さんはどこまでもお節介な方やなぁということも思います。逃げても逃げても、いや、真実から逃げることしかない我が身を、一切の自力無効を知らしめるが如く、どこまでもどこまでも追いかけてくる・・・。まったく、我が足元を離れず一切の工夫を許さない影を作り出す光のように。
 
 



Img_2202 奇しくも私の誕生日は、清澤満之先生のご命日の前日です。昨日のお夕事は、清澤先生のご命日の逮夜と兼ねて、「清沢満之先生讃仰」和讃をお勤めしました。
 
 
 「生のみが我等にあらず、死も亦我等なり」
 
 「生死はまったく不可思議なる他力の妙用(みょうゆう)によるものなり」
 
                        (清澤満之『絶対他力の大道』より)
 
 
 

2016年3月28日 (月)

【雑記】 命懸けのこの一瞬

 つい先日、輪袈裟を買うために、我が家からほんの徒歩1~2分の近所にある法衣店に出かけた時のこと。
 

 「気をつけていってらっしゃい」の声に「すぐそこまでのことやから」とは言ったものの、「近くても何が起こるかわからんやろ」との再び嫁さんの声にハッとした。
 
 
 私たちは一瞬一瞬命懸けで生きてる!
 
 私の人生におけるすべての一瞬に、この私のすべての命が懸かっていたのだ!!このことに驚きを隠せなかった。それが、ほんのわずかな瞬間であったとしても、何が起こるかわからないのがこの人生、この世の真実であってみれば、それも何ら不思議なことではないのだが…。
 
 
 ここに至ってみると、よくもまぁのんきに生きている毎日かと思い知らされる。
 
 こうして今、文章を書いている一瞬も、私のすべての命がここにいるこの私一人に懸かっているという厳粛なる人生の真実。
 
 逃げも隠れもできないまるごとの瞬間が今も続いているのです。
 

2015年7月21日 (火)

【雑記】 「真の平和 -向下の平和運動-」


 「真の平和」とは何か?
 
 「真の平和」とは、各人の「真の自由」が徹底された時、はじめて出現するもののような気がする。
 
 
「真の自由」とは、私に代わる者は私の外に誰もいないことに目覚め、あなたには決してなれない私に泣き、今ここに在る私のそのままの満足を知ることである。
 
 「真」という時、それは人間沙汰を超えてはじめて成り立たしめられる世界をいう。真実、それは人間の夢や希望、あらゆる人間的打算が打ち破られたところに、すべてが自然に在る世界。
 
 

 

 私という人間は、どこまでも自らを正当化し、他と比べて相対的に生きる有限存在、かつ消すことのできない自我を抱えたどうしようもない存在であります。
 
 

 そのような人間のあらゆる一切の正義が否定されてはじめて出現するのが、「真の平和」と呼ばれるべき世界なのだと思う。日本国憲法における平和憲法の理念や希望は、私は好きであるし、日本国憲法を愛する者の一人であるが、憲法も人間が作り出したものである以上、人間が求める理想それ以上でも以下でもないのである。愛することはできても真実ではない。「真の平和」は、人間が作り出した憲法のその向こうにある。
 

 私は、人間の正義を破って、私一人を「これでもか!」とここに立たしめる容赦なき力強き声にこそ、誠実でありたい。


 
 法律で平和を守ろうと思うならば、法律家を目指せばよい。経済で平和をつくろうと志を立てたならば徹底的に経済を学べばいい。憲法を守れない政治がおかしいと思えば政治家になればよい、選挙で護憲政党に投票して政権を変えればよい。しかし、果たして仏法は平和をつくる道具であろうか?
 
 否、過去・未来を背負った今そのままが仏法である。仏法を正義にしてはならない。仏法を正義にしてしまえば、仏法の名で戦争すら起こすのが人間である。正義が破れたところに仏法は働いている。
 

 つまり、非僧非俗に落在するしかなかった私にとってみれば、見つめるべき平和はどこか違うところにあるような気がしている。一人一人、己の心があてにならぬもの、徹底的に人間的希望が否定された時、はじめて武器も何も持つ必要のない私一人の事実に目が覚めるのである。そこにおいてのみ、「真」なるものとの感応道交がある。
 

それは、大河の源流に立ってインキを一滴ずつたらして大海の色を変えるような仕事であると私は教えられた。そのように、一人が目覚ましめられる“向下の平和運動”の道に私は立たされる外ないのだ。向上主義の平和運動はいつしか主義に埋没してしまうだろう。それほど、人間の自力の執心は恐ろしい。
 
 
 

 戦争は、満足を知らない人間の成す愚の骨頂である。人間はどこまでも満足を知らない存在である。そんな人間がいる限り戦争は起こるといってよい。平和も自分の外に求め続ける限り、他者との対立は避けられず、戦争はなくならない。今こそ、向上主義の平和運動ではなく“向下の平和運動”に目覚めるべきである。
 
 
娑婆に生きる私である以上、娑婆ごとに邁進するしか許されていないということはあろう。しかし、「真の平和」は娑婆が破られたところにある。故に、私の目指す平和とは、どうやっても満足を知らない自分自身に満足を知らしめられる道に立つより他ないのである。
 
 
 

2015年7月21日
 
 

 亜世

2014年12月23日 (火)

【雑記】 良いお年を?

 もう今年も終わろうとしている。町のあちこちで「良いお年を!」という挨拶が飛び交う時節になった。

 

 昨日ある先輩僧侶と立ち話をして別れようとした時、「良いお年を!と人は言うけれど、良い悪いの分別はいかがなものかと言う人があった」と言われるので、ちょうど年末だったこともあり、「じゃあ、またお会いできたら来年・・・」と言って別れたことだった。

 

 確かに、良い年か悪い年かは、全く当てにならない人間のこの私の心が決めるだけのこと。良くも悪くもただ時間は流れて行く。そしてまた、次の年を迎えることができるかどうかもまったく私の夢の外・・・。

 

 そういえば、中島みゆきさんの新しいアルバムにこんな詩があった。”終わらぬことや変わらぬことを 欲で待つから泣きを見る 好きも嫌いも嘘もホントも どうせ私の夢の外”(『一夜草』より)

 

 

 

 朝、目が覚めて「嗚呼、今朝も目が覚めた」ということしか許されていないのが、私の生活である。

 

 

2014年6月12日 (木)

【雑記】 エレベーターと私

 デパートの車椅子・ベビーカー優先エレベーターにおいて、ベビーカーでエレベーターに乗った母親に「親の都合で、こんな人ごみに来て可愛そうね」と言ったご婦人の集団がいたそうだ。

 

 

 その出来事を聞くにつけ、「優先エレベーターで何を言うか」という人間の線引きはさておき、そのご婦人もその他そのエレベーターに乗り合わせた誰しもが一人残らず、自分の都合でエレベーターに乗っているという事実に気づかない人間の愚かさを信じる他ないのである。

 

 もしも、私がそのエレベータに乗っていたとして、私心ではなく「仏法をわかって欲しい」ただこれ一つで、「あなたも私も自分の都合でエレベーターに乗っているのではないですか?」と言ってあげられる程に仏法は聞きぬかねばならないと思った、そんな一日であった。

 

2014年4月 1日 (火)

【雑記】 桜と私

Bj4db7wcmaeemov 桜の花に惹かれるのは何故だろうと思ってきた。儚さ故の美しさ、それも確かにあるだろう。しかし、本質はもっと違うところにあるように最近思えてきた。

 

 ”散る桜残る桜も散る桜” とは、江戸時代の良寛さんの句である。

 

 先日、こんな光景があった。還暦を過ぎた祖父母に若夫婦、さらに生まれたばかりの赤子が桜の花を愛でていた。その瞬間を確かめてみると、そこに並ぶすべての人間が、分け隔てもなく「命終える」ということで、等しくそこに立っていたのだ。さらに深くその瞬間を味わってみると、彼ら人間の愛でている視線の先の桜の花と、自分の命もまた、「命終える」ということで全く平等であったのだ。つまり、家族三世代と桜の花、それらどの命が先に終わるか後に終わるかは全くわからない、なかなか恐ろしいともいえる世界に生きているのだということにハタと気づかされたのである。

 

 そして、そのことに気づかされてみれば、目頭が熱くなるような、悲しみとも、切なさとも、愛おしさともとれる不思議な感情が湧き上がってきた。しかし、流れた涙もいずれは乾くといったところで、日常の中に埋没し、「死」を忘れ、「死」を忘れるということは同時に「生」をも忘れた、何とも惰性な毎日が訪れるのである。

 

 その瞬間、「親に長生きして欲しい」と願ったように、ともすれば自分が先に死ぬかもしれぬということをどこかに置き忘れた、人間の算段がまたはじまるのであった。

 

 

 ”散る桜残る桜も散る桜”

 

 

 そして再び、この句に出遇ったのであった。桜の花は、まさに私自身であったのだ。

 

 

2013年10月22日 (火)

【雑記】 浩々洞発祥の地で一句

Imag0764  ラジオ収録のために訪れた東京。以前から訪れてみたいと思っていた本郷の求道会館(http://www.kyudo-kaikan.org)に足を運んだ。あいにくの土砂降りの雨だったが、雨の音が現代の音を封じ込めて、清沢満之先生の求道の地に真向かいになることが出来た気がした。

 

 この場所で清沢先生は求道したのだ。

 

 ”雨の音浩々洞の秋の声” 亜世

 

 

 俳句繋がりということで『ホトトギス』11月号。今回は雑詠2句、天地有情1句の掲載。【掲載ページは、P71/P206】

 

 ”新発意と老僧ならぶ御取越”  亜世

 

 ”不思議なり表も裏も散り紅葉” 亜世

 

 ”冬の浜テトラポットと波の音” 亜世
 

2013年4月21日 (日)

【雑記】 同朋会館からの贈り物 -同朋会運動に生かされる私-

Imag0619 2013年1月20日をもって、僕は1年半勤めた同朋会館研修部補導の職に急遽終止符を打つこととなりました。そして、翌1月21日から真宗大谷派青少幼年センターという新たな場所に主幹として身を置くことになりました。

 

 それから約3ヶ月。4月15日に研修部での送迎会を開いて頂きました。正直、この日が来て欲しくないような、ずっと同朋会館に身を置いていたいようなそんな複雑な心境でありましたが、同朋会館の職員の皆さんからの心のこもったメッセージ色紙、本当に有り難かったです。そして一人一人とお話をさせて頂き、今の自分の立ち位置、これから向かうべき場所、いや帰るべき場所を確かめることが出来た貴重な時間でした。最近、涙もろくて駄目です。補導には他に2人の同期がいます。その一人が司会をしてくれて、そしてもう一人がプレゼントを渡してくれ、思い出を語ってくれました。会が終わった後は、店の外で胴上げをされ5回程京都の夜空に舞いました。本当に有り難い時間でした。

 

 

 同朋会館補導(常勤)の任期は4年、僕はその任期を補導として同朋会館という場所で全うしたいという思いで日々を過ごしていました。同朋会運動のまさに最前線、”一人(いちにん)”を見出す場所であり、日々自分自身が問われ、自分自身の信を問うことなしには何も成し得ない場所です。

 

 その場所を離れるという決断をするには大きな迷いがありました。しかし、青少幼年教化というまさに歩みを止めることの出来ない場所において、この目で見てみたい光景が僕には思い出されたのです。

 

 それは、以前本で読んだ出来事でした。

 

 同朋会運動が始まるもっと前の頃、北陸は金沢・北間のお寺での出来事だったそうです。農繁期に一人の若者がお寺の縁側でゴロンと横になって考え事をしています。そこへその母親がやってきて、「あんたこんなところで何しとるんや?家に帰って仕事を手伝わんかいね。」と声を掛けます。それに青年はこう答えるのでした。「お前さんも忙しいかもしれんが、わしも仏教とは何かを考えるのに忙しいんや。」と…。

 

 そんな”一人(いちにん)”が生まれること、それが同朋会運動の展開であったはずです。

 

 

 この青年”一人”の誕生に身を捧げてみたい、この青年”一人”と膝を付き合わせて話をしたい、そう思えたことが、同朋会館を去り今の職場に立つ大きな後押しになりました。どこまでも同朋会運動としての青少幼年教化です。

 

 清沢満之先生はこう仰っています。

 

 「吾人の世に在るや、必ず一の完全なる立脚地なかるべからず。若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰も浮雲の上に立ちて技芸を演ぜむとするものの如く、其転覆を免るる能はざること言を待たざるなり。然らば、吾人は如何にして処世の完全なる立脚地を獲得すべきや、蓋し絶対無限者によるの外ある能はざるべし。」(『精神主義』 清沢満之)

 

 そして同朋会運動は、人間の打算の運動では決してないのです。打算は遂に破産する。

 

 松原祐善先生に聞けば、

 

 「ともかく、世とともに歩みながら、そこに世俗の社会というものは、無明のなかにあるのですから、その世俗の社会との厳しい対決をもちながら、世を包む世の帰依処として、つねに南無される僧伽でなくてはならんと念ぜられるのであります。・・・(中略)・・・東本願寺が同朋会運動をやっておるのではない。同朋会運動のなかに教団における同朋僧伽のいのちが覚醒されていくという、言いかえれば同朋会運動というのは、同朋僧伽のいのちを覚醒する、よびさますところの信仰運動である。そして、それはどこまでも信仰運動として徹底されていかなくてはならんと思います。」(『念仏僧伽論』 松原祐善)

 

 世と共に歩みながら、しかし世の運動では決してない、そこに緊張関係が自然と生まれるのでしょう。仏に照らされ人間が破られ、大地にひれ伏しひれ伏ししながら歩んでゆく歩みのような気がします。

 

 

 同朋会館での1年半を振り返りながら、昨年の報恩講の御満座の日、同朋会館のお朝事で『鸞聖人』の御文を拝読させて頂いたことが思い出されました。繰り返し繰り返し練習し、その御文の意味を確かめ、本番は確かにこの御文から聞かせて頂きながら拝読していました。ただ御文から聞かせて頂くしかなかったのです。そのことは、僕にとって非常に大きな出来事でした。その『鸞聖人』の御文には、こう記されています。

 

 「もし本願他力の真実信心を獲得せざらん未安心のともがらは、今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、この講中の座敷をふさぐをもって真宗の肝要とばかりおもわんひとは、いかでかわが聖人の御意にはあいかないがたし。」(『御文』三帖目9通)

 

 また、 「一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。」(『蓮如上人御一代記聞書』)とも蓮如上人の言葉は伝えています。 

  

 

 お寺に、奉仕団に、本山に、人が溢れることが一宗の繁昌ではない。仏に照らされた丸裸の”一人(いちにん)”の誕生、それを生み出すのが一宗の繁昌である。そんなあたり前のことを改めて確かめた同朋会館の同朋との一時でした。

 

 同朋会運動とは、単なる人間の目論見・打算の運動ではないのです。人間の打算は必ず破産します。清沢満之先生の言葉で言えば「絶対無限者による」、つまり仏による、他力による「真宗再興」の歩み、それが同朋会運動でしょう。

 

 僕にとっての新たな歩みも、こうして眺めてみれば、同朋会運動に生かされる私を確かめる日々が続くだけでありました。

 

 

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【本文用語説明】

○同朋会運動(どうぼうかいうんどう)

・・・その本質は、「真宗同朋会とは、純粋なる信仰運動である。それは従来単に門徒と称していただけのものが、心から親鸞聖人の教えによって信仰にめざめ、代々檀家と言っていただけのものが、全生活をあげて本願念仏の正信に立っていただくための運動である。その時寺がほんとうの寺となり、寺の繁昌、一宗の繁昌となる。然し単に一寺、一宗の繁栄のためのものでは決してない。それは『人類に捧げる教団』である。世界中の人間の真の幸福を開かんとする運動である。」との言葉に端的に言い表されている真宗大谷派がそのいのちとする信仰運動。1962年(昭和37年)に始まった。

2013年3月28日 (木)

【雑記】 インドの旅 3 ~バラナシ / サールナート~

Imgp0642_3  ブダガヤから車で約6時間、バラナシ(ベナレス)の町に着きました。途中インドの高速道路を走ったのですが、逆走する車はあり、高速道路を横断する人々あり、まぁそれは凄まじい車の旅でした(笑)。追越し車線に停止している車がいて、僕らの乗った車も急停車、後ろからけたたましいクラクションを鳴らした車が急接近して来た時には「終わった!」と思いましたもん(苦笑)。しかし、なんとか無事にバラナシの町に着いたのです。

 

 バラナシの町に近づくにつれ、車の屋根に遺体をくくりつけた車も増えてゆきます。華やかに装飾された車です。ガンジス川のほとりでの火葬の為、各地から運ばれてくるようでした。その横で、結婚式に向かう車が走っていたり、死はあたりまえに日常の風景でした。

 

 

Imgp0857  一夜明けた早朝、ガンジス川に向かいました。早朝の沐浴風景に遇う為です。まだ薄暗いバラナシの町、しかしすでに物乞いの人々があちらこちらで手を差し出します。そんな町の中、屋台の店も開店。ガイドさんお勧めの紅茶を一杯頂き、いよいよガンジス川に向かいます。『ガンジス』、かつて歌手の長渕剛氏が唄にした風景です。僕が仏教に惹かれてゆくひとつの切っ掛けになった唄です。まさに、唄に描かれた時間が今日もそのまま流れていました。

 

Imgp0863  ダシャーシュワメード・ガードからボートに乗り込み、沐浴・火葬・洗濯、まさに混沌の中を手こぎのボートは進みます。うす紫色の空、幻想的な空気が一気に流れます。混沌、矛盾・・・。混沌が混沌のままに、矛盾が矛盾のままに一つである世界がここにあります。「ムタムタ(金沢弁で雑然という意味)のままの世界」です。世の矛盾程、実はあたりまえの世界はないのではないかという気がしてきます。「何故死ぬのか?」、それは「生まれて来たから。」と答えざるを得ない世界にあって、生死は一如です。「死も亦我らなり」という清沢満之先生の言葉が胸にズドンと迫って来ました。

 

 そして、この世を生き切ったその身体が焼かれるその時は、あっけなくも静寂で、しかし厳粛な時間でした。こうして私もこの命を終えてゆくのです。

 

 

Imgp0971  その後、バラナシから車で小一時間、釈尊初転法輪の地・サールナートに向かいました。釈尊が悟った真理(法)が、初めて言葉となって人類に顕かにされた場所であり、最初の僧伽が生まれた場所です。

 

Imgp0986  言葉で語り尽くせない法、しかし釈尊はこの地でそれを「言葉」に表わしたのです。そのことがなければ、今我々はこの「法」を聞くことはできなかったでしょう。そして、我々僧侶は「法」を法話という形で今説いています。それは、「法」を語るということであり、法を解説することではない、解説して理解できるような法ではないのだと、この地に立って改めて感じました。我が身に「法」を感得し、それを語る以外に法話はないのだと思います。

 

 

 こうして釈尊(「仏」)によって「法」が語られ、それを聞く人々が集い「僧伽」が生まれ、ここに「仏」・「法」・「僧」の三宝が成立したのです。この地がこの旅の最終目的地となりました。この地に、両足で立てたこと、それが嬉しかったのです。

 

Imgp0940  インド、僕らが何かに迷いわからなくなった時、きっと立ち帰る場所になるのだと思います。混沌は混沌のままに、矛盾は矛盾のままでいて、しかし実は一つである。

 

 

 ”生死一如”

 

 改めてそう感じたことでした。

 

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    “生まれ育った文豪の街・金沢の影響からか文学の香りのする歌詞の世界が素晴らしい。曲風は70年代フォーク/歌謡曲を彷彿させる、しっとりとしながら深い情感のようなものがこもったメロディが印象的だ。”
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