カテゴリー「【声明】」の記事

2013年6月29日 (土)

【声明】 親鸞聖人御命日日中法要への出仕

 昨日は、昨年の1月( http://dara.way-nifty.com/blog/2012/01/post-c5a0.html )以来の本山での法要出仕でした。前回は親鸞聖人御命日逮夜、今回は親鸞聖人御命日日中法要への出仕となりました。

 

 親鸞聖人の月命日(毎月28日)の法要ということなのですが、この毎月の本山での法要次第は一般寺院での報恩講の御満座の次第とほぼ同じ内容ということで、1時間程になります。

 

 この日は、親鸞聖人のちょうど真横の余間3列目の座に着きました。内陣出仕者は浄土の荘厳だとよく言われますが、法要の後半に勤まる親鸞聖人の和讃をその場所で聞きながら、親鸞聖人を囲んで車座になって教えを聞いているような、そんな感覚になりました。殊に御影堂の親鸞聖人と向き合い、親鸞聖人を囲むということは、内陣といえども、それはやはりどこまでも聞法せざるを得ない我々人間の姿なのだということを感じた、そんな昨日の出仕でした。

 

2012年1月28日 (土)

【声明】 親鸞聖人御命日逮夜法要への出仕

 1月27日、親鸞聖人御命日逮夜の法要に出仕させて頂きました。本山に勤務する、宗務役員になると当番で出仕が回ってきます。今回は、初めての出仕となりました。

 

 年末のお煤払いの時に、御影堂の内陣には入った事があったのですが、法要で出仕するのは初めての事、楽しみでもあり、緊張もありました。喚鐘が鳴り、後堂に出仕者がズラリと座って並びます。「御出仕」の掛け声で、ご門主・鍵役さんが出仕されるのに続いての出仕です。後門まで行くと、座る場所が指示され、今回は内陣向かって左本間の末席に座らせて頂きました。

 

 焼香の良いお香の薫りと、鍵役さんの調声、堂衆さんの声明が間近に感じられ、あっという間の法要でした。

 

 それにしても信悟院さん、宣心院さんの巡讃の声は間近で聞かせて頂くと、何ともいいお声でした。

 

2011年2月10日 (木)

【声明】 路念仏

110210_010401  昨日は声明の稽古でした。葬儀のお勤めについて色々教えて頂きました。

 

 真宗大谷派の葬儀には、路念仏[じねんぶつ]という念仏のお勤めがあります。元々は、出棺の後、葬儀の場所に到着するまでの道中お勤めした念仏だそうです。

 

 現在では、棺前勤行と葬儀は引き続き同じ会場で行われますので、棺前勤行(『観衆偈』という偈文をお勤めします。)が終わって総礼(合掌)の後、三匝鈴という鈴が打たれた後に路念仏が勤まります。

 

 今日は、この路念仏の稽古もつけて頂いたのですが、この念仏が実に深い味わいがあるのです。”中→大→中→小→中→大→中→小”と抑揚を付けての念仏です。深く悲しみを感じるその声です。

 

 考えてみますと、亡き人がその人生のすべてを懸けて、我々に”いのち”について教えて下さる、最期の無言の説法をされるその時に称えられるのがこの路念仏なんですね。最期の、そして無常なる人間のありのままの”いのち”の姿を示して下さった、真実の念仏といってもいいのかもしれません。

 

 長い命、短い命、人間の長さの尺度で測れば不平等極まりないこの命ではありますが、「儚さ」という一点において、誰もが例外なく儚く死にゆく絶対的平等の世界でもあります。その世界を教えて下さる念仏の響きが、この路念仏にはあるような気がしたのです。

 

 大切に大切に練習したいと思います。深い「悲」の心でお勤めさせて頂きたいと改めて感じた、そんな昨日の声明の稽古でありました。

 

2010年12月18日 (土)

【声明】 今年の稽古納め

 一昨日は、今年の声明の稽古の最終日。4月から習い始めて8ヶ月あまり、丁寧に稽古をつけて頂いています。

 

 「正信偈 早四句目下」、「念仏和讃三淘」、「三経伽陀」、「正信偈 真四句目下」、「御伝鈔上巻」、「念仏和讃五淘」と習ってきました。

 

 まだまだ深い声明の世界、来年もしっかり習っていきたいと思います。

 

2010年10月26日 (火)

【声明】 『御伝鈔』の練習中です。

101026_113601  11月2日、3日と僕が衆徒として所属するお寺で、報恩講が行われます。今年は『御伝鈔』上巻の拝読を仰せつかったので、9月から声明の先生に読法を習っています。

 この『御伝鈔』は、独特の節回しにより拝読するのですが、今年拝読する上巻だけでも40分を超える長いものなので、そのペース配分が、最も重要になってきます。声も張って、高く出す箇所も多々あるので、通しで練習すると、力を出し尽くした感、満載。ヘロヘロになります(笑)。

 

 さていよいよ、本番まで1週間となりました。この『御伝鈔』は、本願寺の正統性を伝える書という側面も確かにあるのですが、今年拝読する上巻には、親鸞聖人の求道において重要な出来事の場面もあるので、ひとつひとつ大切に読ませて頂きたいと思っています。

 

 

101026_113701  「教学と声明は両輪である。」と声明の先生に教わりました。教えを学び、我々はわかった気になるのですが、声明をすることによって、思うように出来ない自分を感じる、出来ない自分を感じるということがまた大切だと教わっています。

 

 ここにきて、声明もまた、わかったつもりの、出来たつもりの愚かな私を照らし出す如来の光なのかもしれません。

 

 そしてまた、声を出し、声明を通じて教えを聞く。聞いてまた、出来たつもりのわかったつもりのどこまでも情けないダラな自分が照らし出され・・・。これもまた、曾我量深先生の仰る「光から闇へ、闇へ闇へ」(「教」に止らずに「教」を懐いて現実の「闇」世界に立ち、さらに未来の闇へ歩む)という世界のひとつの具体的な形なのかもしれません。

 

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【本文用語説明】

○報恩講 [ほうおんこう]

・・・宗祖親鸞聖人の祥月命日である11月28日の前後に行われる法要。本山はもちろんのこと、別院、末寺、さらには門徒の家々においても勤められる、真宗門徒にとって最も重要な年中行事です。

 

○『御伝鈔』 [ごでんしょう]

・・・本願寺第三世覚如上人によって書かれた、いわば親鸞聖人の一代記。本来は絵巻物であるが、その詞の部分を特に『御伝鈔』と呼ぶ。ちなみに絵の部分は「御絵伝」と呼び、報恩講の際には、寺院の余間にこの「御絵伝」を奉掛し、蝋燭の灯りの中、『御伝鈔』を拝読することになっている。

 

2010年7月 7日 (水)

【プレ投稿02】 声明 1

 昨日は、声明を習いに浅草のお寺に出掛けた。

 縁あって4月から声明を教えて頂くことになり、ほぼ隔週でのレッスン。昨日は、観経と小経の伽陀(かだ)の練習。声楽も嗜まれる先生の声は非常に魅力的なので、お手本を聴くのも毎回楽しみなのである。

 

 この伽陀というものは、大谷派の声明の中で最も男性的というか、力強い声明で、出だしから終わりまで1オクターブの幅をもった、非常に音楽的な声明であり、僧侶の中でもこれを称えるのが好きな人は多い。僕もそのうちの一人である。

 落語でいえば、出囃子とマクラを併せたような役割のものである。「さぁ、今から法要がはじまりますよ。」という、その法要の空気感を決める声明であるともいえる。ビシッと、バシッと決めなければならない。

100706_232101 声明の音程というのは、左の写真のように”節譜(せっぷ)”と呼ばれる筆で書かれたヒゲ文字のようなもので表わされる。これが独特というか、同じ節譜でも、出てくる場所によって変幻自在に変化するものがあったり、まるでロシア語やフランス語の格変化を彷彿とさせる具合である。

 さらに、ピアノの鍵盤のように「これがド」という具合に確定的な音が存在する訳でもなく、その時々に一緒に称える人に合わせて音程も決まっていき、音の長さもかなりアバウトなものであり、”周りに合わせる”ということが非常に大切になってくる。

 声明のCDも色々出てはいるのだが、やはり口伝で伝わってきたという声明の歴史もあって、声明の先生について習うということの大切さを感じている。場合によっては、先生によって息継ぎの場所が違ったりもするから、下手をするとこちらが大混乱に陥る(苦笑)。


 ともかく、「聞く」ということが、声明においても何を置いても譲れない一線である。それはまた、仏法を「聞く」ということにも繋がり、なんとも奥深い世界なのである。


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【本文用語説明】

○ 観経 [かんぎょう]

・・・『仏説観無量寿経』のこと。自分のなした行為が原因で、息子に幽閉された母・韋提希夫人(いだいけぶにん)の要請によって説かれた経典で、この世を生きること、そのことこそが本当の問題であることを顕かにした経典。

 地域差はあるが、年忌法要等で頻繁に読誦される経典。


○ 小経 [しょうきょう]

・・・『仏説阿弥陀経』のこと。苦悩の衆生に本願のこころがあらわれる相を説いた経典。

 真宗大谷派においては、通夜や法事等で頻繁に読誦される経典。


○ 伽陀 [かだ]

・・・七言四句の偈頌(詩)のこと。お経の中で独立した法義を述べ、あるいはまた仏徳を賛嘆する韻文形式のものをいう。

 法要の始まりに用いたりする。

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    ”真宗大谷派僧侶でもあるフォーク・シンガー、松田亜世の5年ぶりのアルバム。ごく当たり前の暮らしを慈しむ心持ちが伝わってくる歌だ。老いを感じる年代になって初めて理解できる心情があると気づかせる「ホームにて」や「迷いの海」などにホロッとする。彼なりの説法かとも思えてくる。”
    (雑誌『CDジャーナル』)


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    ”「越のしらやま」は故郷・加賀の白山をエンヤトットのリズムで唄う。アコースティック・ギターとヴァイオリンをバックに日本の夏の情景を描く「盂蘭盆会」、 3フィンガーのギターが印象的な「渇愛」など、古き良きフォークの味も。”
    (雑誌『CDジャーナル』)


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    “世代の壁を超え、普遍性を持った真摯なアコースティック・チューンだ。” (雑誌『CDジャーナル』)

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    “故郷を離れた者に向けての金沢弁応援歌「がんばるまっし」、花街の悲喜を綴った「廓唄」、漫才師の志を謳った「新宿三丁目」などどれも物語性が高い。初期の長渕剛風の繊細で少し泣きの入った歌声から、世情を変えたいという想いも伝わる。”
    (雑誌『CDジャーナル』)

    “生まれ育った文豪の街・金沢の影響からか文学の香りのする歌詞の世界が素晴らしい。曲風は70年代フォーク/歌謡曲を彷彿させる、しっとりとしながら深い情感のようなものがこもったメロディが印象的だ。”
    (雑誌『Player』)

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