カテゴリー「【直道】」の記事

2014年1月28日 (火)

【直道投稿文】 『天井落下』 -「直道」第十号より-

 「落ちたなぁ。」
と、私は大笑いしたのでした。

 
 つい先日、仕事を終えて自宅に帰ってくると、部屋の天井が落ちていました。自然落下です。それは、東本願寺の御影堂の屋根が眺められる築うん十年の役宅の建物の一室での出来事です。石膏で硬く固められた厚さ三センチ程の漆喰天井が六畳間に粉々に砕けて散らばっていたのでした。その天井の落下の衝撃で机は凹み、菓子入れの固いスチール缶もグシャッとなる程の威力だったのですが、落下時に私は仕事に出ていて、この身は傷一つつくことなく、ここにあります。

 
 いつものように部屋の扉を開けてみると、天井の破片が散らばり、白い粉まみれの、大型地震の後のような我が家の惨状に、しばらくはその光景を呆然と眺め佇むしかなかったのですが、「天井が落ちた」という事実だけは事実でありました。

 
 「何故?」とか、「もし寝ている時であったら?」だとか、色々と考えようもありますが、しかしどれだけ頭で逃げようとしたところで、事実は事実として目の前に転がっている天井の破片と粉塵に塗れた我が家でした。

 
 予兆は無きにしも非ずでした。天井にヒビが入り、それが日増しに拡がっているようではありました。しかし、人間の工夫を許す暇もなく、ある日ある時突然に迫りくるものなのでした。

 
 「まさか、すぐには落ちまい。まだ大丈夫だろう。」という想定は、文字どおり見事に崩れ落ちたのでした。人間の想定など、どこまでもあてにならないものです。

 
 そう考えてみると人間の私は、なんとまぁ毎日毎日あてにならぬ打算に係り果て、空しく過ごしていたことかと思われてくるのです。人間どこを切り刻んでみても、「愚」という血しか吹き出てこないにも拘わらず、切られてみなければわからぬこの身の事実です。

 
 「如来の大命じゃ!」
と叫んで走り出したくもなりましたが、しかしそれもまた自分が無事だったが故の、単なる人間的安心から言えることなのではなかろうかという懸念は消えません。しかし、自分の思いを破られたということもまた事実であります。

 
 やはり、自分の思いを破られてみると、如来の大命にのみ暴き出される私がここに在りました。

  

 

                          - 「直道」 第十号 (2012年3月28日発行) より -

2012年8月28日 (火)

【直道投稿文】 『人間の割り算』 -「直道」第九号より-

 どれだけ聞いてもどれだけ語っても、人の人生は、それだけで語り尽くせるような平面的なものではないでしょう。今、ここにあるこの人生は、立体的で多面的で、螺旋的で、継続的でかつ刹那的なもののような気がします。

 
 「あなたを理解したい。」、それは割り切れぬものを割り続けるようなこと、或いは0の割り算、つまりは元々受取れる人がいないにもかかわらず、あたかも受取る人がいるように振る舞っているに過ぎないのではないでしょうか。誰に代わることのない自分の始末すらつかずに、人に代わることなど出来ぬ悲しさを背負って生きているのです。
 

 誰に代わることない、今この我が身の事実に気づかされてみると、真っ暗な世界です。確かにそれは、「手も足も出ぬ」ところです。高光大船師は「闇から闇の人生に目醒めると迷ふにも迷はれない。迷ふに迷へないといふことは、手も足も出ぬことである。手も足も出ぬことは明るさである。これを皆当往生といふ。」と語り、「迷ふに迷ふことの出来ぬといふことは、手も足も出さなくてよいのである。これを破闇満願の徳といふ。」とも語っておられます。

 
 自分というものを社会通念や道徳で割ろうとしても、或いは法律で割ろうとしても、元々人間を割ることなど出来ぬもの(人間がこさえた打算)を駆使して計算しているようなもので、甚だ滑稽な人間の愚かさがそこに見えてきました。それらのものは、私の真っ暗闇には何ひとつとして答えてはくれないのです。いや、こうして何かの役に立って欲しいなどと、私もまたどこまでも打算的な人間であります。

 
 どれだけ足掻こうが、闇は闇です。色んなものにぶつかって、最後には闇に座るしかなくなりました。闇に座る自分がいるだけです。親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」と仰ったのです。もしかしたら、地獄というところが、人間にとって唯一絶対的に信頼できる場所なのかもしれません。こうして闇ということを我が身に言い当てられてみると、仏法がわかったような気になりました。しかし、闇に座る、いや闇にひれ伏す自分はそう長くは続きませんでした。迷える余裕が顔を出してくるのです。すると、迷いの答えを仏法に求めるような自分が出て来ます。闇の中一つであった、仏法とこの身が、いつしか仏法を自分の外に見るようになるのです。仏法で自分を割ろうと走るのです。こうなると仏法利用以外の何者でもなくなっているのを感じます。
 

 高光大船師は「仏とは拝むものでも見て置くものでもありません。それは食つて血にし肉にするものであります。」と語られました。仏法はやはり食べる物です。外に見るから仏法を利用する。

 
 しかし、こうしている間に再び闇に座らされる縁に催されたようです。ところが娑婆は、元々割り切れない人間をあらゆる手段を駆使して割ろうとする、そういう所のようです。「娑婆での責任」と人は言いますが、今この業を生き切ることでしか、責任など果たせない私がいるのです。割り切れなさが、明るさなのです。

 
 しかし、娑婆の出来事が解決しないところにおいては、どうにも割れない娑婆のことを仏法で割ろうとする自分がまた顔を出します。そしてまた、割る必要すらない、割る隙間すらない闇に座らされ、こうしてグルグル回って生きています。地獄を信頼し娑婆を生ききる、わかったようなわからぬような毎日です。
 

  

 

                          - 「直道」 第九号 (2012年2月28日発行) より -

2012年5月14日 (月)

【直道投稿文】 『光と闇』 -「直道」第八号より-

 昨年十二月十日に月全体が地球の影に隠れる皆既月食が見られました。徐々に白い光の欠けゆく月、やがて地球の影に隠れた月は赤く染まり、それもほんの束の間、再びその白い光を取り戻してゆくのでした。太陽・月・地球、この三者の関係は甚だ不思議なもののように思います。太陽は太陽としてそこにあり、月は月としてそこにあり、そして地球は地球としてここにあり、互いに関係性を持ちながらも、その三者は決して一つになることなく、グルグルと回り続け、今日も一日が流れてゆくのです。そして、その三者は時に我々に大切な事を教えてくれるような気がします。二〇〇九年七月二十二日に観測された皆既日食、その時に感じた事を思い出したので、少し記してみたいと思います。

 
 普段昼間に太陽が出ていることはあたり前で何の不思議もない事で、太陽がそこにあるからして、こうして昼が昼として明るいなどという事には一向に思いを致さないのが我々人間というものなのです。しかし、ひとたびその太陽とこの地球の間を月が横切り、月に太陽の光が隠されてみると初めて、昼間に闇の世界が拡がり、その闇の自覚から、「嗚呼、太陽の光に照らされていた自分」に気がつくのでした。闇を知らされなければ、決して光に気づく事のない自分です。そしてまた、闇に気づかされる事と光常に我を照らすことに気づかされる事とは同時に起こり、不可分な出来事であるということを感じるのです。

 
 しかし、闇と光に気づかされ、「ああ、そうか」と頷くのも束の間、それはほんの一瞬の出来事であるのです。再び昼間の闇は晴れ、昼の太陽はあたりまえになんとなくそこに昼の太陽としてあり、光は言うに及ばず、闇に無自覚な日々が続くのです。

 
 考えてみると、人間の「わかった」ということは、この皆既日食のようなものではないかと思えてくるのです。グルグルグルグル回りながら、ほんの一瞬の光と闇の出遇いがあり、その時お互いがお互いの存在を照らし合い、しかし再び光と闇は逸れてゆき、またわからぬままのなんとなくの日々が始まるのではないでしょうか。決して、「わかった」を掴む事など許されない流業の日々がそこにあるのです。もっと言えば、「わからぬ」ことにすら気づかずに生きる毎日なのでしょう。「ほんでいいがか?」、「ほんでいいがや」の繰り返しであります。

 
 この年末年始は、「絆」という言葉が盛んに使われました。しかし、繋がろうとして繋がりきれないのが人間というものではないでしょうか。「みんなで」という言葉にも、「共に」という言葉にも、世俗的平等の臭いがプンプンするのです。世俗的平等観を振りかざす限り、それに外れゆく存在があります。人間の等しさとは何なのかをよくよく吟味しなければならないでしょう。それが、頑張れば繋がれるであろうという自力の絆であるとするならば、有限である人間の本質を見逃した危うい概念でしかないのではないでしょうか。月は月、太陽は太陽、地球は地球として、その三者が関係しつつも決して一つにはなれないのと同じように、どれだけ愛し合っていたとしても、共命鳥のように一つの身体になれる訳でもない人間であり、時に月食や日食の如く、ほんの一瞬それぞれがそれぞれの存在の本質を映し出す事があったとしても、それはほんの束の間の出来事であり、そこに留まる事など終になく、本来的に誰に代わることのない存在として一人一人が独りとしてここに在るだけであります。愚かさや儚さ、それが人間というものの根底にあるならば、愚かさや儚さという視点でのみ、等しく繋がる事もあるのでしょうが、それは決して人間がどれだけ「絆」と叫んだところで成し得るようなものではなく、闇に気づかされ光に気づかされた時に、向う側から自然と顕かにされうる愚かさであり、儚さであり、等しさでしょう。人間をまるごと照らし出されて初めて、「愚」の大地で平等な人間が炙り出されてくるのではないでしょうか。平等とは、目指すものではなく、下りてゆくもの、否、引きずり下ろされてゆくものなのではないでしょうか。もっというならば、一人一人が「独り」として堕ちていったところに拡がるのが、同朋という世界なのではないでしょうか。それは決して努力してたどり着くような世界ではないと思います。一人が独りとして立っていない同朋などありえないのです。

 
 少々話が逸れてしまいました。今年もこうしてグルグルと流れてゆきたいと思います。

  

 

                          - 「直道」 第八号 (2012年1月28日発行) より -

2012年4月22日 (日)

【直道】 『直道』輪読会

Imag0145  昨日は昨年末以来、久しぶりに『直道』の輪読会に参加させて頂きました。

 

 今回は、昭和5年12月号を輪読しました。事前に輪読する号を送って頂き、読みの予習をするのですが、何しろ昭和初期の旧漢字のオンパレードで、ただ読むということさえ、甚だ骨の折れる作業でもあります。しかし、高光大船師の言葉は、我々の真実相を痛烈に言い当てられておられます。

 

 「仏法は身で聞くもの」とよく言われますが、まさに生活と仏法が一枚岩であった師の言葉は、一切の誤魔化しなく、理屈抜きに、説明という名の説迷不要、僕の身に迫ってきます。

 

 

 「仏者の歓喜する処は明日の希望へでなく現実の充実である。明日への改変ではなく、今日の其儘(そのまま)である。由来仏教の特色が悔い改めでもなく出家発心でもなく其儘の救済であることにある。それは現実の明覚が遂に希望をも必要とせざる程に充実せる意味に於いてである。」(『直道』 第3年第12号 「働いても食へず」 より)

 

2012年4月13日 (金)

【直道投稿文】 『骸骨の唄』 -「直道」第七号より-

ろくでなし人でなしと
罵られても私は私で
「いい人ねあなたとてもいい人ね」と
褒められて登った木の枝はすぐにまた折れる
私なりに精一杯生きて
精一杯生きられずそれもまた私で
あなたのようになりたいなどと
私にもなり切れずよく言ったものだ
 

 人は泥にあって泥にもなり切れず
 せいぜいが
 精一杯の花を夢見ることくらい
 泥は泥 花は花 人は人
 ただそれだけ
 

 ガイコツ ガイコツ
 君も僕もガイコツ
 ガイコツ ガイコツ
 僕も君もガイコツ
 
 

「ガンバレ」も「負けないで」も
所詮無責任な人間の言葉
あなたには決してなれやしない
代わることない孤独の旅はまだまだ続く
振り返ることも出来ぬ待ったなし
今日といえ不確かな今を確かめ
誤魔化して生きているだけの
自分にほどほど呆れ果ててもまだ自分さ
 

 人は泥にあって泥にもなり切れず
 せいぜいが
 精一杯の花を夢見ることくらい
 泥は泥 花は花 人は人
 ただそれだけ
 

 ガイコツ ガイコツ
 君も僕もガイコツ
 ガイコツ ガイコツ
 僕も君もガイコツ
 
    ○   ○   ○
 
 「されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」というこの身の事実があります。とするならば、我々はただ我が身の骸骨に向かって生きているだけなのでしょうか?否、我々は生まれながらの骸骨でありましょう。生まれながらに骸骨を引き受けて生まれて来たのでしょう。骸骨を引き受けて生まれ、今ここにある私も、この身のうちに骸骨をもちながら生きているのです。
 
 人は独り生じ独り死す、この逃れようのない孤独故、あらゆる手段をもって温もりを求めようとするけれども、その温もりの奥には冷酷なまでの事実としての骸骨があるのです。しかし、この「骸骨であった」ということをもってのみ、どうやっても代わることのできない君と僕が、代わることは出来ぬままに、等しく愚の地平にひれ伏すことが出来るのでしょう。

  

 

                          - 「直道」 第七号 (2011年12月28日発行) より -

2012年3月 5日 (月)

【直道投稿文】 『悪人の唄』 -「直道」第六号より-

 「先生、最近歌が書けなくなりました。」

 
 「おお、そうか。お前も悪人になったなぁ。ハッハッハッ!」

 
 この秋、水島見一先生と食事をご一緒させて頂いた時の会話です。これまでに、これ程までに痛快な会話は私の周りになかったような気がします。

 
 私は僧侶であるのと同じように唄うたいでもあります。シンガーソングライター、自作自演の唄うたいです。高校を卒業して東京に出て行ったのも、大学進学に伴ってといいながら、とにかく“東京”の地で歌で勝負をしたかったからでした。それから十三年間、東京と故郷・金沢を拠点に歌ってきました。得度して僧侶になると決めたのも、様々なご縁があったことではありましたが、突き詰めてみると、自分探しの曲づくりの中で「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり。」との清沢満之先生の言葉が、「何故、自分は歌っているのか?」との問いに対する答えになったからでもありました。

 
 そうして僧侶になり、さらなる宿業生活に呼び返されてみると、これまでいかに人を惑わすような唄を歌ってきたのであろうかということが思われてきたのでした。それは、わかりやすさを隠れ蓑に、説明に説迷を繰り返すどこぞの法話と変わらぬものでしょう。「いい歌」とは、たかだか人間の有限を誤魔化すだけの「いい歌」でしかありませんでした。人の心に響く歌とはつまり、耳障りのいい言葉を並べ、ただ単にヒューマニズムにしがみつくような歌なのでしょう。有限なる人間の、無限なるものに打ち破られる前の安全地帯を出ることのない歌ともいうことができるでしょう。しかし一寸先は闇、否、闇の中に埋没する今、まさに日々次から次へと迫りくる宿業のど真ん中に追いやられ、生かされるしかない我々です。宿業に泣き、宿業に頭が下がったところでなお、そこにあぐらをかくことなど許されぬこの人生を唄うことなくしては、この人生空しく過ぎるだけであろうということも思われてくるのです。

 
 我が身が頼りになるという錯覚に迷える間、或いは闇にありながら闇の傍観者である間は、決して唄うことなど出来ぬ悪人の唄です。ちまたに垂れ流されている歌は、たかだか善人の歌でしかないのです。自らのどす黒さとも儚さとも愚かさとも向き合うことのない、「がんばろう」も「負けないで」も、本来的な人間の絶対的孤独を誤魔化しながら、向上という名のもとにかえって上に向かえば向かう程に人間的孤独が増すばかりであるということに気づくことすらない言葉です。独り生まれ独り死ぬこの我が身の絶対的孤独、絶対的儚さ・・・、これらをまるごと引き受けて愚の大地に立った時にのみ、真なる友と出遇い、この世の地獄をも何不自由なく生きてゆけるのでしょう。愚の大地にひれ伏して、悪人の唄を高らかに歌いながら横超に自在に生きたいと思います。

 
 「唄」という字を辞書で調べてみると、“仏の功徳をほめたたえる歌。また、その歌をうたうこと。”と出て来ました。まさに、仏に照らされ、どこまでも仏にそれてゆくしかない闇から闇の人生を唄うことしか、もはや私が唄う意味はなくなりました。手放しで歌えることのできる悪人の唄を待つことにします。

  

 

                          - 「直道」 第六号 (2011年11月28日発行) より -

2012年1月23日 (月)

【直道投稿文】 『無有代者』 -「直道」第五号より-

 「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く。身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし。」

 
 この私の身が、誰に代わってもらうことの出来ないのと同じように、あの人と代わることなど決して出来ぬこの私なのです。私が因となり苦しむ人を前にして、「代わってあげることが出来るなら。」などと傲慢にも思い上がった私でありました。選ぶ余裕など微塵もないままに選ばされて歩むこの人生なのです。こうして、選ばされるままに生かされていることでしかないこの人生なのでありますが、磨りガラスの向う側の過去の出来事を選ぶことが出来たが如く勘違いしている自分でもありました。落在し、落在し、過去・未来を背負ったところの今、今、今の連続でしかないにも関わらず、果をのみ代わってあげたいなどと、よくもまぁ都合よく思えたことだろうかと、自分自身の身勝手さに呆れ果てたことでしたが、同時にまた相手を痛む心を感じたのも事実でありました。しかし、この痛みというものも、いつしか忘れてしまう程に、ともすれば痛む自分に酔いしれていただけなのではないかと思うような、どこまでもどす黒い私の染汚でしかなかったのです。

 
 誰に代わることなきこの我が身。人間とは本来的に何と孤独な存在なのでしょうか・・・。しかし、誰に代わることなきこの身において、自力の無効が知らされ、と同時にこの身が如来の働く場所になるのでしょう。「どこまでも仏に背く汝であるか」と、逃げることの出来ぬ今この身に働きかけ続け、ここに如来の今現在説法の場が生まれるのでしょう。この身の儚さと、そしてまた無有代者ということにおいてのみ、人は朋なる平等な地平に立つことが出来るのやもしれません。

 
 誰かを傷付けずにはおれなかったあの時、「地獄は一定すみか」の大地に、はらはらと涙が流れたことでありましたが、やがて涙は乾くの道理の如く、愚の大地に立たされたのも束の間、大地に立っている「つもり」の人間の私がまた芽を出してきていたのです。
 

 こうして、「つもり」が積もる毎日です。無有代者、この絶対的孤独から逃げようとしているつもりなのでしょう。しかし、この積もった「つもり」が崩れ去り、孤独は孤独のままに実は孤独ではなかったというようなことが、愚の大地に立つということなのではないかと思われてくるのです。

  

 

                          - 「直道」 第五号 (2011年10月28日発行) より -

2011年12月29日 (木)

【直道投稿文】 『ほんでいいがか?』 -「直道」第四号より-

 ちょうど昨年の今頃、世間道徳との徹底的な格闘に曝されることがありました。“こぼれた水は元には戻らない”という宿業生活の中、なおこぼれ続ける水に溺れながら溺れきることも出来ずに迎えた我が道徳の崩壊に、「悔い改めて欲しい。」と言われたことであるが、本気で悔いることも、ましてや改めることなど微塵も出来ぬ極悪人の私でした。
 
 そもそも、「悪かった。」ということすら嘘臭い人間の私です。自分で頭を下げることなど実はこれっぽっちも出来やしないではないか。人間的打算の破算に、自ら為そうとした人間的打算の馬鹿さ加減にほどほどあきれ果て、「なんとも愚かな私であったか。」と頭を垂れた時、初めて頭が下がったのです。人事を尽くしても決してこの身の問題の解決などできやしないこの私です。どんなに試行錯誤したとしても、この愚かさから出でることは遂にはないのでしょう。しかし、この愚かさが照らし出され、あぶり出されてもなお、下がり続ける頭など到底持ち合わせない私でもまたありました。下手をすれば「頭が下がった。」ということにまた頭が上がるのです。「頭が下がった。」ということを掴む、握りしめる。人間はなんとも握りしめる生き物なのでしょうか。ともすれば「極悪人」という言葉の上に、また「宿業生活」という名の上に胡座をかきかねない、とことん厄介なこの私なのです。
 
 「仏法を道徳に破れた自己を正当化する道具にしていないか!」、誰に代わることのない私の中の法蔵菩薩が叫びます。
 
 「ほんでいいがか?」と、そう問い続ける日々であります。
 
 
 我が身をば照らすふるさと盆の月
 

 

                          - 「直道」 第四号 (2011年9月28日発行) より -

2011年12月14日 (水)

【直道投稿文】 『同朋会運動五十周年を前に』 -「直道」第三号より-

 この七月から、研修部補導として同朋会館にお世話になっています。御承知の通り、真宗同朋会運動も来年には五十周年を迎えます。その時を同朋会館で迎えることができる、それが補導に応募したひとつの大きな切っ掛けでもありました。水島見一先生の『大谷派なる宗教的精神-真宗同朋会運動の源流-』を読み、純粋なる信仰運動としての初期同朋会運動の躍動に心を動かされました。

 
 「家の宗教から個の自覚の宗教へ」

 
 まさに今、このスローガンが改めて叫ばれるべき時期に来ているのではないだろうか、いや、今こそ叫ばずにはおれない、そのように感じます。故郷を離れ、ビルの谷間で社会に埋もれて孤独に生きる現代の都会の人々こそ、群萌ではないだろうか、そう思います。今こそ、たかだか江戸時代からの呪縛から解き放たれ、崩壊しつつある家の宗教から、親鸞聖人が生き切られた群萌の仏道に、真の意味においての民衆の仏道にかえしてゆく、その時がきているのではないかと思うのです。

 
 歎異してかえす、過去・未来・現在という歴史の中において、すなわち未来を背負った志願であるところの同朋会運動の原点に、懺悔と歎異をもってかえす、そのことによって今まさに、未来、そしてさらなる五十年を背負って立つことが出来るのではないかと思うのです。

 
 どんな時代においても、人間の思いがその思いの通りにまかり通るほど、この世界は生易しいものではなかったでしょう。昨今の原発事故に関するニュースで語られるところの「想定外」という言葉も、所詮人間の想定に過ぎない。どこまで人間は思い上がる生き物なのであろうかと思います。人間の想定するところのものなど、ものの見事に破綻する、それは過去の歴史が証明してきたところであり、幾多の先人達が、われわれに伝えて下さったところのこの娑婆世界の真実相でもありましょう。

 
 火宅無常の世界、今まさに生かされるこの「儚い」としかいいようのない世界に埋没し、手も足も出ないところでそれをしっかりと引き受けることが出来たならば、過去においても、或いは未来においても、火宅無常でなかった日のないこの娑婆世界に、どこまでも力強く立つことの出来ると信じられてくるのであります。

 
 生きるとは、生かされているとは、その「儚さ」において到底ごまかし様のない悲しくも力強いものではないでしょうか。
 

 

                          - 「直道」 第三号 (2011年8月28日発行) より -

2011年12月 7日 (水)

【直道投稿文】 『掌』 -「直道」第二号より-

 流れ流れて京都にやって来ました。流れ流れてとしかいいようのないこの一年程の出来事でした。流業という言葉のまま、周りの人を巻き込みながら、そこに留まることを許されず、目の前のひとつひとつの出来事を流れのある時は流れのままに受け容れつつ、留まった時は留まったままに、そしてまた流れて、今ここにいる私があります。十三年間過ごした東京を後にし、郷里の金沢に帰ったのが今年の二月。そして、この七月からは研修部補導として本山に勤務させて頂くことにもなりました。

 

 同朋会館の講堂に掲げられた高光一也師の『合掌の図』の絵が、心にゆっくりと染み渡ってきます。自らの業を引き受け、信を確立しようとする合掌の姿、その表情に心動かされます。そして、同朋会館で仲間と語り合う度に「ここに仏法がある。」と喜びの感情が沸き起こりもするのですが、しかし、その喜びはともすれば仏法を握りしめることになり、その握りしめた掌の中にはすでに仏法はなく、どこまでも自己弁護の、わが身を正当化する為ならば仏法をもその道具にしかねない、拳を握りしめたこの私がいるのです。

 

 握りしめた拳は、人を撃つ“鉄砲”でしかないのでしょう。それは、どこまでいっても自らを立て相手を打ち負かそうとする赤裸々な人間の叫びなのかもしれません。自らを撃つ仏法とは正反対のこの自分です。例えば僕自身の最近の体験でいえば、男女の別れにおいて、一方で相手と共ならねばならない自己を握りしめる人ありと思えば、もう一方は相手との別れを握りしめる人もあるのです。お互いに握りしめるものがある限り、決して対話すら成立しない、もうどうにも“わからない”世界がありました。 どうしてこうも人間は握りしめる存在なのであろうかと自問自答を繰り返しつつも、なかなかその掌をホッと開くことのできないわが身なのです。

  

 「どうにもわからない。」となったところで、その状況を受け入れるしかないのでありますが、受け容れ切れずにまたもがく、そんな毎日でもあります。泣いても泣いても、わからぬままに今を引き受け、いや引き受けたつもりで引き受けきれずに、それでもあるがままに生きてゆくしかない私であります。

  

 仏法にわが心は撃たれ、ヒューマニズムは一瞬死せども、それでもまた頭の上がってくる自分もいるのです。さらには、自らのヒューマニズムは仏法に葬られてなお、今まさに社会の関係性の中にあるこの身の問題は、娑婆でしか解決出来ない出来事を引き受けながら生きてゆくだけなのでしょうか。

  

 

                          - 「直道」 第二号 (2011年7月28日発行) より -

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